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2006年2月

プチなんかどうか・・・

ちょっぴりご無沙汰しとりました、ka_akoです。。。
風邪でも何でもなく~・・・愛用パソイカれた・・・・だけで、
慣れないパソコンに急遽シフトしております。(早く直せば良いのだが
先日まで変な色でしか画面が出ておらず、すぐ目が限界・・・。
やっとカラーの世界になりました。。。。
(こういうことにかけてはマメな旦那でしてーーーー!!!)
で、旦那が彼方此方から集めた品で出来たパソコンで、
モニター・キーボード・あとこの箱なんじゃい(デスクトップだから)で、
全部メーカーバラバラで、総額1万円行くか行かないかのパソです。
やっぱ元のヤツを早く直してみた方がいいかもしれん

最近むっちゃハマってるプチな事に気づきました。
   
    ○必ず買い物で値引きされた野菜を買いあさる。

だって、だってね・・・・100円分でも買ったら食いきれないよ!!
なんですもの・・・・。今日食えばいいんだろ今日食えば!!って思うと、
でもこんなに食べきれなぁ~い・・って『幸せ』に浸れるんです。

       一瞬ですけどね。

あんまり買わないわね・・・という方も、一度お試しアレ。(何だソレ)
普段手が出ないヘンチクリンな野菜も高額な野菜も結構行けますょ。

で、とうとう待ちに待った物が・・・・、

     ○次男の入園通知

と、一緒に用品購入表なんぞもあって、長男の取っておいた物をチェック中。
同じトコ行くので、とにかく綺麗そうなのは置いといたのだが、
ミシンの欲しくなる時期でもある。。。が、長男の時は波縫い炸裂させ、
波縫いだけで巾着から何からほとんど作った!
しかし・・・・、近所にそれとな~く声かけとこ・・・・・・・・・・・・。

この所、冬場のような刺すような寒さってのはなくなってきましたね~。
やっと動けますよ。。。(今まで動いてなかったらしい)
来年度にむけてボチボチ始動~な小忙しい時期来ました・・・。

せっかく別館もねぇ・・・あと膨大な記事を載せるだけだったのに。。。
おそらく前パソと一緒に記事も埋もれてしまっとる・・ので、
こちらはネタ集めに専念します。。。

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第二部も見ましたとも。

さすがに昨日は眠たかったぞ、と・・・・。
先週第一部感想に引き続き、
第二部に関してチンタラ書かせていただきますと・・・・・、

     まぁ、ドラマやからね・・・・・・・・・・・・・

で、ka_ako期待の島津義弘ですが、

     こんだけ・・・・・・・?!?!

しか、出ませんでした。。。。名前出ただけで良しとしましょう・・・。
そのチラっと出ました諸将について少しずつ(少しじゃない)。

宇喜多秀家:「ご先祖様」と言われてたこの人は西軍の副将で、
   石田軍に続く大部隊引き連れ、敗戦後処刑間逃れ「島流し」に。
   この人からこの「島流し」と言う八丈島への流刑が始まったらしい。
   「いいとも」で本当のご子孫様見ましたよ。
   奥様が前田利家の実娘で秀吉の養女・豪姫。
   この前田家から隔年物資などが八丈島に送られてました。
   明治維新後、放免状が届いたそうです。

大谷吉継:覆面してました、演出◎。実際顔や手は隠してたそうで、
   難病のハンセン病を長く患っていて、この頃はもう失明寸前とか。
   三成の挙兵の話を打ち明けられると、信じられない!!で、
   その挙兵をやめさせようとしましたが、三成の決意固く・・・。
   それでも親友・三成の為に死装束で参戦。
   石田軍の横に陣取り、小早川軍の寝返りに備えていました。   
   三成と共にこの関ヶ原に備え戦い、小早川勢の攻撃に遭い自刃。

島左近:ドラマでは、なんでここで死んじゃうの・・・・・でしたが、
   実際も馬上で狙い撃ちされたようです。しかし、実際合戦後、
   この左近がどんな鎧を身につけていたのか?と、
   戦った人が覚えてないほど(見てる暇与えないほど?)の、
   戦いぶりだったそうです。首が見つからなかったそうな。。。

上の大谷・宇喜多・島隊と石田隊が、実際は戦っていただけで、
後の西軍各隊は徳川と内応して、または優位な方に寝返るつもり。

さて、ドラマに戻り・・・、小早川秀秋・石田三成・島左近の消え方は、
歴史の流れ上問題はないかと。しかーーーーーし、
石田三成になった渡部隊長・・・・・・・やっぱ家康討ったと勘違い。

   ってか、もっと戦い方あるんでないのか、コレ!

歴史塗り替える!!名を残す!!!ってなら、

     そのつもりでやらんかい!!で。

何でヘリあるのに開戦後速攻で家康本陣攻撃しないのだ?
んで、また反町隊長と後でホントの関ヶ原戦やったら・・・?

と、思いました。いくら最新武器でも、あの兵数相手に、
いちいち敵に向かって引き金引いてては、弾も消費・体力も消耗。
弾薬使って罠しかけて、効率よく誘い込んでいかないと・・、と。
まともにやって数万人を相手にできると思ったのかどうか。
戦だーって、格好つけたせいで、勝てるものも勝てなかった・・・、
のは、実際の三成にも言えた事かもしれない。
周りに強者を就かせたのも、その為だったのに?

その点、いくら未来の物だろうと、所詮人が造って動かす物と、
よく分かってたのが家康の方だった気がします。さすがに・・・。

結局、家族を持って幸せに・・・という道を選んだ隊員だけが、
まともに生き残るって訳で、これが一番なのよ、と。。。。。

      まぁ、ドラマやからね・・・・・・・・(2回目)

とにかく、やるならとことん信念貫いてやらねば生き残れない、
事がよく分かりましたです、戦国時代。。。
石田三成は、家康もドラマ内で惜しんだほどに、
文官として優れた人物で、主君に忠実に一途、
自分の城を飾り立てるようなお金の使い方はしない人でした。
今でもあの処刑された場所は「正面」と名前が残ってるそうで、
豊国神社に祀られてる秀吉に向かって、正面、だったとか。

こうなると、関ヶ原の一部始終を濃密に描いた、
濃い~ドラマ見てみたいな・・・・。秋くらいに。
あ、そうだ。これで火がついて、別館こしらえてしまいました。
そのうちサイドバーに表示されるかと思います。     

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タワー体操の歌

たまたま、そこだけ見てたんですわ、「なるとも」
で、素人さんなんだけど、何?何?何?って、思わず見てしまった所、
いい年頃の女の子が、白の全身タイツ(?)に身を包み、
(いや、この年頃って皆こんなもんか)←何を納得?
とにかく「タワー」が好きで好きで、自分達で歌と体操を作って、
「タワー」って名の付く場所には、その扮装で出かけ、この体操をやってるという、

京都タワー研究会(京都造形芸術大学生による京都タワー研究会)
と言う、3人の女の子達でして、 HPブログ だそうで、
3月1日~5日の卒展で研究発表するそうです!?(京都市美術館)
ちょっと見に行きたいかも・・・・・・・・・・。
3月7日~14日京都タワースカイギャラリーへ巡回予定とのことです。
(↑なるとものサイトに詳しく載ってた)

面白そうな上に、楽しそう!!!
どこかのタワーで見かけたら必見ですな!!!
もう遭遇したよ、って方もおられるかも。

で、その歌は、

♪たわぁ~、たいそぅ~、1,2,3~~♪(違ったか)みたいな、

てか、全然分からんがね!(いや、聞いた人なら何とか・・・)

で、勿論、振り(体操か)付き

この歌が耳から離れんのですわ・・・・・・・・。

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見ましたとも。

昨夜は・・・眠い目こすりながら、見ました。
この調子で続く第二部も見ましょう。。。

   てか、どうなってんねん、関ヶ原前哨戦ー!!

な、展開でしたが、まぁあんなのが急に現れたら仕方ないという事で。
どこまで、どんな、関ヶ原合戦模様に繋いでくれるのか楽しみです。

ハマり役と昨日書きました家康・津川雅彦さん。
ハマりすぎて、もう妖怪かよ?!思いましたです。。。
相方??の本田正信・長門裕行さんとの掛け合いもほのぼのと・・・。
実際もこの二人、こんな感じだったのかもなぁと思わせます。
家康の伊賀越え時にも確かいたはずで、剣や槍の腕、
と、言うより、頭のキレ?を家康に認められてた人みたいです。

で、対する三成ですが、やっぱ竹中さんでは、
ほっといても西軍勝利!!しそうな三成ですなぁ。。。と。
秀吉時代からほとんど事務処理的なものはこの人!だった訳で、
太閤検地も刀狩りもこの三成の発案による?・・・等等。
オデコが広くて色白~な華奢~な感じで(あれ?なぜか山南さんが・・・
なイメージを勝手に持っているka_akoでした。。。
この松方・島左近を破格の給料(禄高?)で登用しました三成です。

キーマン、藤原竜也・小早川秀秋。反町隊長に聞いてましたね、
自分はいつ死ぬのか・・・・。

   「それはねぇ~関ヶ原の2年後に病気で~・・・」

と、テレビにむかって言ってました、思わず( ̄^ ̄)
クチはとても小さくて、か細い首で、上目遣いするような・・・
と、言うのがこの当時の秀秋の風貌らしいのだが~・・・、
何か生き生きしとりました。ものスンごい状況下な訳ですが。
なぜキーマンか、って、この小早川家率いる部隊が、
相当な数で、1万5千だか6千人とか。東西どちらも欲しい訳です。

この小早川家と言えば・・(相当長くなるらしいのでヤメ)

関ヶ原の戦いは「淀×ねね」の戦いとも言われ、
自分が嫁ぎ、ここまでにした豊家が、(子供はいなかったけど)
愛人の子に奪われるのだ、と見れば、なるほど~な話で。
いや、ねね本人も、政治や情勢を読む能力が高かったかと。

秀秋はこの愛人「淀」の産んだ秀頼に立場を追われ、
おばである「ねね」(と、秀吉)に引き立ててもらったようなものでもあり、
関白の権利はまだ豊臣だし、
立場が危うい時には家康が力になってくれたり、
ほんとああでもない、こうでもない・・・状況なのです、きっと。
これが二十歳の秀秋の身の上に起こってた訳です。
2年後、病没と言われてたり、狂い死にだったとも。

当の三成も、精神的に追い詰められるとお腹壊してたとか。

タイムスリップした現代人ですが・・・、厳しい状況でした。
当時もう鉄砲は普及していたし、いくら最新鋭の武器持ってても、
弓矢は飛んでくるわ、槍は向かってくるわ・・・・・。
やっぱりタイムスリップはしたくないもんですね。

この時代にくると、誰もが天下取りの野望を抱くのか、
渡部隊長行ってしまいましたが、(最近やった映画もこんな展開だった?
本当に家康を討ったと思ったんでしょうか。
本当に大殿が討たれたってのなら、近侍が逃げて行く訳ないと・・・、
普通に思いましたが・・・・討ち取ったり・・・と、思ったんでしょうか。
自分が優位だと思うと、つい油断が出ると言うか、
特にこの時代、詰めの甘い事すると必ず痛い目に遭う気が。。。
「確認」を怠ったのでは?!?!と、思ってしまいました。
が、余命幾ばくも・・・(血吐いとるし)という事なので、
戦国の世を、身を持って体験し、見せていただきましょう。。。

さてさてこの辺で・・・来週に続く・・・・か?

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