« 司馬遼太郎の功名が辻・6 | トップページ | 司馬遼太郎の功名が辻・8 »

司馬遼太郎の功名が辻・7

本日第7回。
慶長3年、秀吉による盛大な花見が催され、
まるで秀吉の騒ぎ納めのようだと、千代一豊は心配します。

この頃千代は一豊に対し、一つの考えを持っていました。

それは、一豊に側室を作り世継を産んでもらう事でした。

当時の嫁の務めは、まず世継を産む事。
子がなければ側室を妻が勧めるのは当たり前のことで、
この頃の千代が言い出すには遅いくらいでした。

千代には複雑でしたが、自分に子供が産めなかったという負い目。
それと一から世継をこの手で育てたいという思いからでした。

そこで仕える腰元の中から側室を選んで、
千代はその間一月ほど寺参りなどして来ますと気を遣ったものの、
残った者はあの手この手を使い、一豊もとうとう・・・。

帰った千代に「お勤めはいかがでしたか?」と聞かれ、

傍妾役に当たった腰元は「お暇を下さいませ」と頭を下げ、

  「もうこの人(一豊)にお暇とらせなあかんがね!!

と、芳野(これが樹木希林さんで、千代の乳母)に、
ど叱られる始末だった模様。

この山内家は千代と二人で作った家であって、
千代以外の産んだ子に継がせるのは納得行かない。
一豊の甥を養子に迎え、その子を世継とする事にしました。

↑の期間、千代が山内邸を離れている間、
辺見えみり扮する小りんという娘が同行。
始め間者として一豊に近付き、それから周りをウロウロしてる忍。
千代に会って改心、山内家で働き中・・ってドラマでは進んでます

その小りんが、千代に
千代様が男だったらとっくに100万石取りの大名になれたのに、と。
しかし千代が、
主人である一豊を育てながら一国一城の主にする事は確かに大変、
しかしその喜びや達成感は自分がそれを成すよりも嬉しい事。

の、様な内容のやり取りがありました。。。

千代のヤキモキした気分も晴れた頃、
5月の端午の節句の行事の最中かに、秀吉が倒れ・・・、
続く6月の行事中まだ死にとうないと皆の前で幼い秀頼にすがり、
ひたすら「残される秀頼の事をよろしく頼む」と、
五大老に宛てた手紙を自ら書き遺し、慶長3年8月18日夜、

           秀吉死去。

   一豊や千代の青春は、この秀吉と共にありました。

   また戦国の世が、戦がおこり、世は乱れましょう

|

« 司馬遼太郎の功名が辻・6 | トップページ | 司馬遼太郎の功名が辻・8 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

気が向けば武将」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/51359/43343448

この記事へのトラックバック一覧です: 司馬遼太郎の功名が辻・7:

« 司馬遼太郎の功名が辻・6 | トップページ | 司馬遼太郎の功名が辻・8 »