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司馬遼太郎の功名が辻・最終話

本日最終回でした。

慶長5年7月、大阪・石田光成×上杉征伐隊・徳川家康
東西分けての戦に向け、千代のいる大阪にも、
西軍の軍勢が続々集まっていました。その数10万。
徳川様は勝てるのかと・・・一豊を信じるしかありません。

一豊は、この戦で手柄を立てるには、
先鋒を受け賜るしかないと、小山軍議に向かいます。

この戦の発端は石田光成が秀頼の権威を借り、
上杉と結んだ謀反である。対、豊臣家・・ではなく。
そこで妻子を人質にとられ気になる者は止めはしない、
また自分の城に帰り籠城もよし、光成と合流するもよし

と、家康の寛容な申し出、ではありますがその真意は、
去る者はここで去れ、後で叩き潰してやるという事。

さぁ一豊!今だ!

という時に福島正則第一声!を、

続けて黒田長政が・・と皆が「内府殿にお味方する!」

そしてそのまま福島勢が先鋒に決まってしまいます。

そのあと、一豊・・・申し出ました、ぜひ山内に先鋒を!

しかし山内家、6万石で過酷な先鋒は・・・と、
皆反応イマイチ。。。

が、そこで一豊言いました。

 

  「掛川城、領地、すべて家康殿に預けます」

 

これは凄い事で一同も驚き、京への道中である掛川城の、
兵糧米、城、領地、全てご自由にお使い下さいという事。
これを聞いた東海道筋の城主は「家も、家も!」と声をあげ、
この第一声をかろうじて上げた・・・事に

その頃、

京の山内邸は石田勢の兵に包囲され、
千代たち家の者も、出入りもままなりませんでした。
が、小りんが軍議での一豊の様子↑を伝えました。
それは一豊様にしては大博打ですねと千代はにっこり。

芳野始め旧来の家臣・祖父江新右衛門は、
山内家は無一文という事ではないですか」と驚愕。。。

  戦に負けてしまえば一豊様も討ち死にか切腹
  城や領地など全て失うものだから気に病む事もない

他大名の妻子が大阪を捨てる中で大阪に居る千代です。
その山内邸から東の空が赤く・・・伏見城(家康勢)が

東西天下分け目の関が原の戦い

山内勢は後方に置かれ・・・功名を得る機会はなく・・・。

戦に勝利し邸に帰った一豊に皆が戦の様子を尋ねます。

 

  まさに天下分け目であった!関が原の霧が晴れ、
  ほら貝が鳴り響くと、先鋒の福島隊が宇喜多隊に・・・

 

      で、その時殿様はどちらに?!

 

        わしは後方じゃ。。

  そして味方の形勢が悪くなり、そのとき小早川隊が、
  一気に山を下りて・・・・

         これほどの戦は初めてじゃ!

 

 

   じゃ、その時殿様はどちらに?!

 

 

     わしは・・・

      後方で・・・、

    

     進んだときには戦は終わっておった。。。。

 

 

 皆がやっぱり山内家は無一文になる・・・とがっくり。。。

 

そして、関が原の恩賞の沙汰が各大名に知らされ、
福島殿、尾張24万→安芸・備後49万石!と聞き、
これはあの時の第一声の功名だと一豊は思いました。
それなら城を差し上げると言った自分は・・・と期待

 

しかし、山内家への沙汰はなかなかありません。

 

そんな頃、千代は静かになった大阪の街を楽しんで、
小雀(こすずめ)」という若者に飯代を貸せと声をかけられ、
代わりに小りんと望月六平太を探してくるよう言います。
この二人はドラマ中、千代の周りに居た甲賀者。

 

山内家へのご沙汰はまだまだありません。
一豊は家と大阪城を行ったり来たり。

 

また、京の町で祖父江が旧友に会い、
キチベエの忘れ形見がいるらしい」と聞いてきます。
貧乏公家の後家を母に持つ子」がキーワードで、
このキチベエさんは、第一話で一豊の頬の矢を、
一豊の顔をふんずけて引っこ抜き、そのあと、
一豊がもう浪人になりたくなった戦で討ち死にした家臣。
皆が大好きだった人で、何としてもその子を探す事に。

 

なかなか沙汰がないので嫌気のさした一豊、

 

酒を飲んで泣き、勝つも負けるも人の一生など儚い、
関が原で負けた者、死んだ者の為に千代も泣けと。

それでも千代は、私は豊かな半生でしたと答えます。

終いには、夢を叶えられなくてすまないと謝ります。

しかし、女房にすまぬは要らない

 

一国は与えられなくとも、人を育てた功名があります
こんな時でもこの山内家を離れる者はおりません

 

このまま沙汰がなければ、と後の事を朗々と語り、
田畑でも耕し、私が小袖を縫い売って暮らせばいいと。

かつての所領、掛川城も家康親類の大名に。

その方の人柄を聞き、それなら掛川の領民も安心だと。
しかし、これで旧領安堵の道も閉ざされました

 

小雀」が小りんの居場所を告げに来ました。

と、同時に、
この若者が探していた若者だったと判明します。

この名前は、自分の父が、
俺の顔はすとんと転んだ慌て者のスズメに似ている
とよく喜んでいて、だから母がこんな名前をつけた、と。

の事は昔千代が戦場の一豊に送った手紙に書いた事
たわいのない話を書いて陣中に送る嫁で実は有名だった?

更に、一応形見だと持っていた矢じり(矢の先の金具)
その父が殿様の顔を踏み付けて引き抜いた時のものだ、と。
山内家はこの若者を登用しキチベエとの約束を果たします。

 

小りんが逝きます。忍びの時代が終わったかの様に。
おなじく六平太も、既に世を去っていた事を知ります。

 

一豊は大槍を構え「鍬の練習じゃ!」と、いつもの一豊に。

そしてとうとう、

家康からの沙汰が・・・・

 

   山内一豊・土佐24万石!大大名です!!

 

あの時の城を明け渡す申し出、開けずに見せた手紙、
戦での槍働きの手柄に勝る功名と家康が絶賛。
ただ、この地は治めにくいかもしれないが、
山内家(一豊・千代)なれば務まるに違いない、とのこと。

いや、どんな土地でも禄高でも喜んだと思います。
おそらく想像をはるかに超えた沙汰だった気がします。

山内家では「さすが我らが殿様じゃ」と大喜び。

一豊はこれは女房運だといい、千代の運だと。

千代は私のつまらぬ一言が一豊様で膨らんでここまで来たと。

長年苦労を共に連れ添った夫婦の貫禄と言いますか、
ドラマ通して、この宅間伸さんの一豊のかわいい事と、
壇ふみさんのほとばしる様な賢妻オーラが、
まさに一豊と千代だろと言った感じで面白かったです。
24万石!と画面一杯の文字には笑いました。

と、ドラマはここまでだったのですが。。

この時から山内家は300年もの間名を残し、
その土佐は坂本竜馬、板垣退助など輩出します。

ドラマのサブタイトル「夫を成功させる法」でしたが、
いかがだったでしょうか。。。

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