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ひと月たつと。

制服はね、男の子はギリギリに作りに行った方がいいよ!
 
と言われ、ギリギリと言えば、2月末でも間に合います!と、その制服を扱うお店のお知らせにもあった。張り切って12月とかに注文して、背が伸びてしまい、入学式で既に短くない・・?という事態が時々起こるらしく、特に男の子はギリギリに!と言うのだ。
 
こりゃのんびりでいいわ~などと悠長に構え過ぎ、楽勝に2月末を過ぎ(ってか28日しかないし、と思ってみた)3月、インフルエンザ。。。と言っても、次男だけで誰にも飛んでないのに。
さらに自分の制服なのに、「俺も行くのーー?!Σ( ̄ロ ̄lll)」などとのたまう長男に、もうお前だけ入学式に制服無いぞ!と次の土日に行くって決めたのに、

それが「やっぱ今日行く!行かなきゃ!」と言う気に急になり、単に土日ではもう間に合わないんではないかというもので、今からー?!と、夜ご飯はどうするんだと言う大ブーイングなそんな時間に走ったのが、

3月10日の夕方だった。

入学式には間に合いますからね~と、「もう遅いくらいですからね~」とテキパキと、とっかえひっかえサイズ選んで下さる店員さんに笑顔で言われる親は、こんな時期まで何してたの?的ものを感じる微笑が微妙に痛い。お母さんジャージやし。下の子「まだぁー?」ってうっさいし。

これで一安心~と妙に落ち着いたら、次の日地震が起こった。
 
3月の買い物のレシートを見てたら、たまたまこの8、9、10日、11日にも、ガソリンやら灯油やら米やら、冷蔵庫空っぽだった的量の買い物をやたらしていて、偶然そんな買い物ペースだったのか不思議。次に買い物行った日にゃ大晦日か!くらいの人、品切れの棚。こういう事態での、我先に!みたいな大人を子供に見せたくないと思うのだが自分もなるんだろうなぁ。
 
あの日は、間髪入れず鳴った「そっち大丈夫かー」という電話と同時に、「やっぱ今地震あったよねぇ~」と言ったもんで「はぁ?!」みたいな。しかしあの旦那が電話してくるとはこれは揺れたなと。
 

一斉にテレビの中が慌しく地震や津波を告げ、太平洋側の海岸に赤や黄色で一斉に引かれた画が、番組中もCM中も表示され続けた時、(その後CMはしばらく消えたが)
「何か桁とか数字間違えてんのか・・?」と思うしか実感もなく、
何が起こったのだ?と、これは今どういう事で、自分が何したらいいのかよく判らない、という衝撃だった。

その間にも桁違いの人が今その時亡くなってたに違いなく、 
とてつもない高い波も押し寄せていたのだと知るのはもう少し後だ。
 
それから連日は体験したりご存知の通りで、

何を思ってみるも、言ってみるも、自分に何もなかったから出来るだけの話だった。
 
それからは、テレビも今何時で何しなきゃいけないんだっけ?と忘れるほど見た。しかし早い最新の情報の為には電源が要り環境が必要で、また起動時間すらまどろっこしい時には開けば読めるのが新聞だった。もう地震以降の新聞は、元通りにならないほど開いては折れ曲がった。
 
いろんな言葉や文章があった。
 
エコで地球に優しく、環境を守ろう、自然を大事にしようと叫んでいる人間こそが、
自然に守って貰うべき存在だった、という内容の一文を見た時、なんか情けなくて泣けてきた。
 
「津波てんでんこ」という言葉も印象深く、津波が来たらばらばらに逃げろといった類の、身内も顔見知りもかまうなという意味の、今回被災した地方にあった言葉らしく、
その言葉通りに逃げ、後で「何で助けなかった」と責める相手も、誰か助けに行ってたらいなかったかもしれないと思うと、
津波というものがやって来るとき、その瞬間にどれだけの重大な判断を人に要求するのかって事で、その判断の重さと言ったら、津波の高さや規模より怖いものかもしれない。その一瞬を「逃げる」という一言で迷いを断ち切らせ、一人でも生き延びさせる為の、知恵と哀しくも優しさをも含んだ言葉でないかと思った。
 
現代においてライフラインの断絶というのは、原始時代以前に放り込まれるようなもの、なのらしい。
そこまで行くかと思ったが、それがないと、検査してないと、加工してないと、アレもコレも出来ない、飲めない、食べられないと言う、概念がない原始時代の方が、何の気兼ねも心配事もなく、そこにあるもの起きた事全てで、食べたり採ったり、生まれたり生きたり、怪我したり死んだり、できたからかなと。
そんなのには戻れないが、放射線が追っかけてくる事はない。
 
原発は深刻だと、素人目にも思うのだが、

原子炉がどんなになってるのか、テレビや新聞でも図が表示され、こんな作りしてるのを知った人も多いだろうし、
「使用済み燃料棒プール・・・プールって蓋ないの??そんなんあるなら先に言えよー!」と思った事があった。
始め高価な原子炉の話ばっかで上の階にそういうものがあると言う事は、その時にならないと言わないの?と思えて、そういう所も事故以上に深刻だと思えた。

もう記事かテレビか忘れたけど、
ある発電所の見学時に「これが止まればこちらが動くので常に発電所は安全です」と言うガイドの説明を聞いた子供が「じゃあそれも壊れたら?」と聞くと「壊れません」とガイドが答え、子供が言った事が本来正しい専門家としての意見なのではという内容。
この施設に残り作業をする人がおり、近くに残されたままや住む人がおり、避難していく人もおり、放射線は目に見えない。
 
生かし残されたのは、今回の被害地外に住む我々も同じだと思うのだ。
 
ちょっと自分の話をすると、
祖父は、長崎の方がピカッと光ってそのあと爆風が来て居た場所から落ち、一緒に居た人はダメだった、という話を昔していたと言う。直接聞く事はなかったが。
父は、あの時は2階の窓から妹(叔母にあたる)を背負ってまた屋根の上に登った、と言うのを聞いた。
原爆と伊勢湾台風の話である。

その時、その後、生きてくれたのでka_akoもいる。

祖父が帰るのを家で待ってた家族や人がいて、父に食べ物をくれた名も知らぬ人もいたかもしれない。それはここまで繋がってるように思う。いや繋がった。

祖父と父の間に母がいた訳だけど、もう随分前に病気で死んでしまっているので、今回みたいのを見て何て言うか判らないが、いないから逆に、どこから見てるか判らん!というプレッシャーに変え、決心し、動ける事もある。これはあくまでもka_ako流であるが。孝行らしいこともなく、母親より先に死ぬ事がなかったくらいかと思うが、災害というのはそれすらも許さないのだな。

人生その人の器にあった物事しか起こらない、と言う様な事を言ったのは家康だったか、
これはどんなヒドイ物事でもその人なら乗り越える事が出来るからこそその人に起こるのだ、と言う様な事で、その人の持つ器に収まるのだ、という事だが、
この「人」を「国」にして考えたら、この国の持つ器で乗り越えられるからこそ起こった、と言ってはお前それは無いよってのもあるかもしれないけど、

日本という器が置いてあった。その机が揺れて器は欠け、入ってたものがこぼれた。
でもこぼれたのは全部じゃなかった。器の底にはそれは残ってたし、器も欠けたけどまだ使える。

じゃあ直して元通りにしよう、新しくもっと大きな器にしよう、中身をこぼれない塊にしたり、こぼれない様・揺れない様に工夫をしよう、そしてこぼれず残ったもの、底にあって気付かなかったけどこんなのも入ってたんだ、これは大事にしよう。

直したり、工夫したりするのは残った我々がやるのであり、残ったものを大事にするのも我々になる。

これが今の国の何の事だ?と言われれば全然判らないのだが、こういう方向なのかなぁ~という今の感想だ。

 
余裕をもって選んでもらったサイズのはずなのだが、
「もう制服がなんかしっくりしてるね~( ̄▽ ̄)」と、他のお母さん方から入学式に言われ、
う~・・確かに作りに行った時は、制服にコソッと入ってた感じがしてたのだが~、ひと月でもう伸びてしまったのかのぅ・・身長が。

こちらでは新学期始まっておりますcherryblossom

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